スペシャル

歴代東ベイ俳優インタビュー №1  大塚耕司

大 塚 耕 司(おおつか こうじ)

 

1981年生まれ。

映像作品では96年「アカトラマン」でデビュー。

98年「重装戦士メットロン」の重本装ニ役が代表作。

2001年「ボールマン」では監督をつとめあげた。

現在は結婚し一児の父親。東ベイには名誉会員として籍を置いている。

 

 

 

 

長い東ベイの歴史の中でも、特に90年代後半から2000年代前半は数多く作品が作られた黄金期であった。その時代の多くの作品で主役をつとめ、一時代を担った俳優が大塚耕司である。芝居はもちろん、歌手や殺陣師、そして監督までこなした彼はまさに東ベイの生き証人と言えよう。

 

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●東ベイも創立20年以上経ち、作品の製作体制や出演メンバーも大幅に変わってきましたね。

 

大塚「そうですねえ。僕が主に活動していた頃は皆同い年のメンバーで、気心も知れていましたから撮影というよりもただ単に遊んでいるという感覚でしたね。当時は台本も何もなく、カメラがあるので何かやろうよ…みたいなノリで。ラケットマンなんかはバトミントンして遊んだついでに撮りましたからね。その場にラケットがあったから…というだけで作られた作品なんですよ。今は撮影の為に集まったメンバーでやっているそうですから気遣いも大変でしょうね。」

 

●大塚さんの一番印象に残っている作品は何ですか?

 

大塚「やっぱり『重装戦士メットロン』ですね。主題歌も歌いましたし。挿入歌も3曲程歌ったかな。あの頃は17歳ぐらいでして無茶していましたよ。オールナイトのカラオケで一晩中歌ってその後撮影なんてこともありました。クランクインも8月上旬でかなり暑かった記憶があります。人が足りないので、怪人に入ったりもしました。この作品から本格的な殺陣も導入されて、グンとクオリティーも上がったような気がします。今も息子と時々DVDで観てるんですよ。」

 

●メットロンでの共演者の思い出はありますか?

 

大塚「博士役の藤本君とは当時何をするにも一緒でしたね。一緒にコンビニでアルバイトやったり音楽もやったり…。藤本君はこの作品では怪人役も兼任でしたので大変そうでした。守隨さんは芝居が上手い人でね。映像で観ても迫力はあるんですが、現場ではものすごい迫力で(笑)。メットロンのスーツアクターを担当していた西山さんも当時は撮影に関しては気性が荒くなる人で、守隨さんの殺陣リハーサルの時にかなり怒鳴っていたことを記憶しています。西田君や橋本君とはよくテレビゲームをして遊んでいましたね。」

 

●10周年記念作品の『ボールマン』では監督をされていましたね。

 

大塚「そうです。神雷皇の名前で監督しまして、主演もしたんですよ。本当は監督だけやりたかったんですが、何せ当時は人手不足で。今みたいに毎回主演俳優が変わるなんて考えられない時代でしたね。女優もいないのでグラビアアイドルの写真だけ出演させたりね(笑)。何と言ってもこの作品ではクライマックスのアクションシーンが本当に大変でした。アクション監督は西山さんだったのですが、クソ長い立ち回りを1カットでやれと言うんですよ(笑)。結局20回ぐらいNGを出してしまいました。あの撮影現場も今は新しい中央市民病院が建ってるんですよね。時代は移り変わりますね…。」

 

●20周年記念作品『仮面ショーダー~20年目の変身~』はどうでしたか?

 

大塚「あの作品までかなりブランクが空いていましたからね。俳優としては、恐らく02年『麻雀は俺に任せろ』以来だったと思います。なので久々の撮影で緊張しましたよ。主演も大御所の南翔太さんでしたし、守隨さん、高野さんと豪華メンバーでしたね。殺陣もありましたが、やはり相手がベテランの南さんなだけあって殆どNG無しで撮り終えました。今は南さんも他の映画制作団体で精力的に活動されているらしいですね。ある意味東ベイにとっての一区切りの作品だったなと思います。これで古い体制の東ベイは終わったんですよ。これからは新しいメンバーが『東ベイらしさ』だけを忘れずに、どんどん色んな作品に挑戦していって欲しいですね。」

 

●今後の東ベイ及び自主制作映画業界について何かございますか?

 

大塚「特にないですね。」

 

~ありがとうございました。

 

 

 

2011年4月22日・魚民 三ノ宮駅前店にて。